2009年5月12日火曜日

柴権現(番外編①)




取引の場所は、森のほとりにある「柴権現」という名の加速回廊だった。 加速回廊というのは、「鳥居」と呼ばれる赤いゲートが無数に並んだ石造りの通路のことである。場所によって真っ直ぐだったり曲がりくねっていたりと色々だが、その出発点は必ずトルクの中心を向いており、終端は地球儀衮の方向に向いている。
柴権現

2009年3月21日土曜日

園原市街⑧




…そこの通りをちょっと下ったところにはな、それはそれはどでかい市民ホールがあるんだ。それこそ、超一流のオーケストラを呼んでも恥ずかしくないような設備も万端そろってる。ところが、そんな大それたイベントやってたのははじめのうちだけで、今じゃだだっ広い駐車場を盆踊りの会場に使うくらいが関の山さ」

2008年10月4日土曜日

園原市街⑦



 一体何が起こったのか、まったくわからない。
 気がついたら、家のすぐ近くのバス停のベンチにひとりで座っていた。ちゃんと服も着ていたし、ビデオ屋に止めておいたはずの自転車がすぐそばにあって、ベンチの足にチェーンロックでつないであった。バス停の時計は、夜中の二時十分を指していた。

 今でこそ冷静に思い出すこともできるが、あのときには怖すぎて涙が出た。
バス停

2008年8月25日月曜日

鉄人餃子



 この手の大食いメニューにおいて、種目が餃子であればその数は五十や百が相場だが、鉄人餃子の数はわずか五つである。果たしてこのことは何を意味するか。 でかすぎて箸で持てない。 一口で食べきれる大きさではあり得ない。二口でもまず絶対に無理だ。三口で食べ切れる人はきっと口の中にげんこつを入れる隠し芸を得意としているはずである。五十個百個の山盛りではない「皿の上の五つの餃子」というのは視覚的な錯覚を引き起こしやすいが、隣にたばこの箱なんかを置いてみると三日間くらいは笑える。

鉄人ラーメン




 にらみ合う晶穂と伊里野の前に、最初のメニューである鉄人ラーメンが運ばれてきた。縮れ麺、具はナルトとメンマと炒めたモヤシ、チャーシューは薄く数が多い。至極オーソドックスな醤油ラーメンである。 量、という一点を除けばの話だが。 まず巨大なドンブリからして暑苦しい。バカバカしい容積いっぱいに麺とスープが満ち満ちており、ほぼ同じ量の具がその上に山と盛られていて、横から見ると半球状のはずのドンブリが丸く見える。はっきり言ってこんなシロモノが人間の腹の中に収まり得るとは思えないのだが、この壁を飾る完食者の名前の数々はまさかウソではあるまい。

2008年8月4日月曜日

殿山②



 水前寺がこの地下壕の闇に身を潜めて、既に三日目になる。
 隣の鷹座山尾根から地下壕の中を歩いてきた。全行程の八割以上は地面の下だ。すなわち、危険なのは最初と最後である。まずは、いかにして地下壕の入り口にまでたどり着くかが問題だった。殿山を中心とする偏執的な警戒網は鷹座山尾根にも及んでいるはずだったし、どうにかして連中の目をかわす手を考えなくてはならない。ルート立案において、水前寺が最も時間をかけたのもこの点である。
 勝算は、やはりあの古い地図だった。…平林の旧木材輸送路から鷹座山尾根に入り、瀬戸川源流の渓谷を踏破し、輪堂の砂防ダムへと抜け、地下壕の入り口に至るという複雑怪奇なルートはまさに、水前寺にしか見えない道筋だったのだ。

平林

2008年8月3日日曜日

殿山①




ブルドッグのメルセデスが治安部隊の制止を受けたのは、軍道28号線と西山街道の交差点から南へ200メートルほどの地点である。そこからさらに南へ5キロほど下ると、夏には水が干上がってしまう細い川と赤さびだらけの橋が現れる。手すりの代わりに雑草が生えているその橋を渡れば、そこから先はもう殿山の麓と呼んでも差し支えのない地域だ。人家はあまりない。田んぼと野菜畑と小汚い川とゴミの不法投棄が絶えない防風林と、棒っきれのような電柱とたるんだ電線とみみっちいゴルフ場と横柄な教官ぞろいで悪名の高い自動車教習所。それらをすべて背後に残してさらに進むと、道は唐突に上り坂となる。