2008年6月28日土曜日

園原市街⑤



「え?じゃ、部長ドノは夏休みの間ずっと風呂なし?」
「まさか。あの裏山を大月台の方にちょっと下ったところの、ええっと、野球場とかある」
西久保も首をひねって、
「なんだっけ。なんとかかんとか記念スポーツ公園、だよな」



2008年6月26日木曜日

鉄人中華丼



おかしい。間違っている。普通、中華丼に入っているとすればそれはウズラの卵であって、断じてニワトリの卵がゴロゴロ入っていてはならないはずである。器はまさに洗面器の如しであり、その上にどっかりと鎮座するメシの山は食い物というよりもむしろ活火山のジオラマを思わせ、マグマのごとき灼熱の餡の中で具が身をよじっているその様からは、得体の知れぬ悪意すら感じる。

2008年6月25日水曜日

園原中学校②





プールは体育館の並びにあって、浅羽の隠れている焼却炉からは30メートルほどの距離がある。プールの周囲はフェンスではなく、合成樹脂のパネルをつなぎ合わせた背の高い壁で囲まれている。あれこそ悪名高きベルリンの壁、「これじゃ女子のプールの授業を見物できない」という男子生徒の怨嗟の声を一身に受けてなお揺るぎない難攻不落の壁だ。
ベルリンの壁

園原中学校①


駐輪場に飛び込む。チェーンロックを外す。自転車にまたがり、全体重をかけてペダルを踏み下ろし、正門からバス通りへと走り出た。すぐに山側の道へと折れる。
           
                          


帝都線市川大門駅


そして春が来て、水前寺テーマは「幽霊は果たして実在するか」に変わった。この頃、水前寺(と浅羽)は幽霊が出ると噂の帝都線市川大門駅女子トイレを夜中に潜入取材して110番され、先生にめちゃくちゃ怒られた。
市川大門駅

園原駅



園原市の住人が「街へ行く」とか「街に出る」と言った場合の「街」とは、園原市の中心部の、市役所をはじめとする公共施設群を含む一帯のことを指している。

園原駅

2008年6月24日火曜日

園原市街④


西久保と浅羽が恐るべき陰毛に追い回されているちょうどその頃、晶穂と伊里野は「招福寺入口」でバスを降りていた。晶穂が先を行く。その後ろを伊里野が叱られた子供のような距離をおいてくっついてゆく。
招福寺

園原市街③

店の前に回ると父はふと足を止め、赤白青の看板のコンセントを抜き忘れていないか、入り口のドアにかかっている札が「CLOSED」になっているかを確認する。母はその隙を捉え、いい歳をこいて腕を組んだ。父はそれに動じない。二人は腕を組んだまま今津書店の前にあるバス停まで歩き、この日のために臨時増発された園原交通のバスに乗る。







園原市街②





田舎にしては小洒落たこの一角を園原中学校の生徒達は「川向こう」と呼んでおり、「試験期間終了などのハレの日の学校帰りにちょっと寄っていく場所」と認識している。とはいえ、財政上の問題からその立ち回り先は大体決まっていて、例えばボウリングならデパートの中にある「サンライズレーン」ではなく国道沿いの「釜藤ボウル」、といった具合だ。
釜藤ボウル





園原市街①



園原中学校からバス通りを東に1キロほど歩くと、釜藤川という名前のしみったれた一級河川に突き当たる。河原の幅だけはやたらと広く、園原市にはありがちな無駄に立派な橋が架かっており、その橋を渡ると田んぼや畑に取り囲まれた新興商業地区が姿を見せる。
園原市街①

2008年6月14日土曜日

六番山への道③



力の限りにペダルを踏んだ。曲がりくねった舗装路をひたすらに登る。吹き出す汗で全身がずぶ濡れになって、まるでバケツの水を頭からかぶったような有り様だった。
六番山への道③

2008年6月13日金曜日

六番山への道②








旧園原演習場の六番山に、十八時四十五分までに。腕時計に視線を向けた。十八時二分過ぎ。自転車通学で鍛えた足をもってしても、ぎりぎり間に合うかどうか、というところだった。
六番山への道②

六番山への道①







グランドの喧噪が、聞こえてくるような気がした。振り切った。足に力を込めた。自転車は浅羽を乗せて、緩やかな坂道を駆け上がっていく。

六番山への道①